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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)316号 判決

控訴人 甲野秋子

右訴訟代理人弁護士 寺尾寛

同 佐藤昇

被控訴人 乙山松夫

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 大橋秀雄

主文

一  原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

二  被控訴人らの前項取消部分にかかる請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴の趣旨

主文第一、二項同旨

二  控訴の趣旨に対する各答弁

控訴棄却

第二当事者の主張及び証拠

原判決事実摘示及び当審証拠目録記載のとおりである。

ただし、次のとおり付加訂正する。

一  原判決三枚目表九行目の「同2の事実のうち、」から同裏四行目までを「同2の事実は認める。」に改める。

二  同三枚目裏五行目の「同3の事実のうち、」から同七行目までを「同3の事実は認める。」に改める。

三  同四枚目表一行目から六枚目裏七行目までを次のとおり改める。

「1 本件土地の占有権原

(一)  控訴人は、亡夫三郎が有していた本件土地の地上権を昭和四八年一〇月一日本件建物とともに贈与を受け取得したものである。

すなわち、本件建物は、昭和二四年ころ亡三郎が先代太郎死亡後甲野家の実質的当主として有限会社甲野紡績の経営並びに母花子、兄一郎を扶養する目的のため建築したものである。

右当時、一郎は自活能力を全く欠いていたので形式的には長男の一郎が甲野家の当主であったが、実質的には三男の三郎が当主であり、同人が前記企業経営並びに生活全般につき采配を振っていたものであるから、一郎が亡きあとは三郎が甲野家の家産を承継することが当の一郎はもとより、甲野家親族全員から期待されていた。従って、三郎の本件土地の利用関係は対一郎との間では使用権としては最も強力な地上権が設定されたものと推定されるべきである。その対価は、母花子及び一郎の扶養である。

(二)(1)  仮に地上権でないとしても、亡三郎は亡一郎との間で同人及び母花子の扶養を実質的対価とする賃貸借契約を締結したものである。

(2)  一郎の後見人丙川五郎は、昭和五三年一月一四日控訴人に対し、本件土地につき借地権の設定を認めたものである。

(三)(1)  仮に、右(一)(二)のいずれも認められないとしても、亡三郎の甲野家における前記のような地位並びに母花子及び兄一郎らを扶養していた関係からすれば、少なくとも亡一郎が控訴人ら夫婦に対しその死亡時まで本件土地の使用借権の設定をしたことは明らかである。

(2)  右(二)(2)の契約は少くとも使用借権を設定したものというべきである。

(3)  被控訴人らは、亡一郎の相続人である四郎及び春子がいずれも同人らの死亡時に再度相続によって被控訴人らにおいて本件土地を取得するのを省略するために贈与を受けたものであるから、実質的には亡一郎の相続人であり、包括承継人である。」

四  同六枚目裏八行目の「3 権利濫用」を「2 権利濫用」に改める。

五  同六枚目裏一〇行目の「2の(一)」を「原判決四枚目表二行目から五枚目表七行目まで及び同五枚目表末行から六枚目表五行目まで記載の事実」と改める。

六  同一一枚目表六ないし八行目を次のとおり改める。

「1 抗弁1・2の事実は争う。

2 亡一郎は知能が低かったので、亡三郎と四郎が中心となり、母花子、おじの松郎、妹春子の夫乙山春夫らが事実上の後見役となって一郎の資産運用を一郎名義で行ってきたものであって、三郎や四郎はあくまで一郎の補佐役であったにすぎない。

また、三郎夫婦が母花子を引取って世話したことはなく、一郎の身の回りの世話をしたのもごく短期間である。同人らに対する看護と経済的負担を伴った扶養の事実はない。」

七  同一一枚目表八行目の次に次のとおり付加する。

「五 再抗弁(抗弁1に対して)

亡三郎に本件土地につき使用借権があったとしても、同人の死亡によって消滅した。

また、被控訴人らは本訴提起により控訴人に対し本件土地の返還を請求しているものであり、返還時期は到来しているのである。」

理由

一  請求原因1ないし3、5の事実は当事者間に争いがない。

同4の事実は、《証拠省略》により、これを認めることができる。

二  そこで抗弁1について検討する。

1  《証拠省略》によると以下の事実を認めることができる(《証拠判断省略》)。

(一)  控訴人及び被控訴人らの身分関係は原判決添付身分関係図のとおりであることは当事者間に争いないが、控訴人の亡夫三郎の実父太郎は、生前控訴人肩書住所地において紡績業を経営し、長男一郎、三男三郎(次男は幼時死亡)、四男四郎らがこれを手伝っていた。ところが、長男一郎は幼児期に脳膜炎に罹り、知能未発達であった(痴愚級の精神薄弱)ため、独立の生活能力がなかったところから、太郎は同人の行末を案じ、家産を分割して三男、四男に分与することなく、すべて一郎名義のままとして、兄弟は一郎を惣領としてたて、協力して家業を守っていくことを熱望し、さらに一郎の事実上の後見役としてかねてから嘱望していた長女春子の夫である乙山春夫に後事一切を託していたが、昭和一五年四月一三日死亡した。

(二)  こうして、太郎の死後、一郎ら三兄弟は亡父の前記遺志に従い、春夫の助言指導のもとに家業に従事していたが、折からの戦時体制により三郎、四郎らに対し軍務の召集があって、家業は春夫によって辛うじて細々と維持されるにとどまった。

ところが、終戦後、三郎、四郎らが軍務から帰来してから、家業が再開され、昭和二二年九月ころ紡績工場の復旧工事もなされた。そして、家業の経営は、当時東京都内在住の春夫の全般的助言指導のもとに、主として、三郎が金融・販売等の対外的業務を、四郎が生産・技術部門の対内的業務を受持ち、一郎は雑役担当(他に農耕作業を含む)であった。三郎が昭和二六年五月一〇日控訴人と結婚してからは、同女も記帳、現金出納等経理事務を手伝った。なお、一郎も同年八月二〇日丁原梅子と結婚し、同女は農耕作業を手伝っていたが数年にして結核療養所に移ることとなり、一郎とはその後別居し、昭和五〇年三月一五日協議離婚するに至った。

ところで、家業の業績は全般的に余り進展せず、昭和二九年九月ころには行きづまりの状態にまで立ち至ったこともあったが、一家の生活を支える程度には維持され得た。もっとも、同年五月末ころ居宅敷地内に本件建物(三)の平家建物置(六一・一九平方メートル)が新築されて、母花子と一郎の住居にあてられたし、昭和三五年八月には本件建物(一)の工場が一五〇平方メートルばかり増築され、昭和四二年八月には本件建物(二)の母屋が増築される等の前進がみられたとはいうものの、全体としては決して明るい見透しがあるとはいえない状況であった。

(三)  次いで、昭和三四年一一月二〇日春夫を中心として一郎ら三兄弟は甲田繊維工業株式会社を設立し、事業再建策をはかったが、これも結局効を奏するに至らずに終った。のみならず、四郎は家業における自己に対する処遇に不満を抱くようになり、昭和四二年ころから独立して毛糸の玉巻き業を始めるようになり、同四七年一月九日春夫が死亡すると三郎は相談相手を失い、これを機として経営の行きづまりに拍車がかかり、同四八年一一月遂に甲野紡績は倒産してしまった。その際一郎名義の資産の殆どが借財(約七千万円)整理のため処分され、一郎名義の財産(すなわち太郎の遺産)は、本件土地・建物並びに四郎の居宅敷地(甲府市《中略》三二番一宅地二二四・一八平方メートル、同所三二番二宅地二〇八・九〇平方メートル、同所三二番三宅地四八・九八平方メートル)等を残すのみとなった。

三郎はその後も事業再建に奔走したが昭和四九年一一月二六日都内新宿駅構内で心臓発作により急死した(なお、母花子は同年二月一日死亡)。こうして、控訴人は本件建物において一郎の面倒を見ることになったし、四郎、春子らも何らこれに異議を述べなかったのみならず、同人らは一郎の面倒は控訴人が引続きみることを期待していたものである。

2(一)  以上の認定事実によれば、三郎は、実父の死後、一郎名義の資産である紡績業の生産設備及び不動産(居宅及び敷地、その他の土地)等を一郎、四郎らとともに維持発展すべきことを期待した亡父の遺志に沿って家業を推進してきたものであるが、右事業は、兄弟三人の協同事業であり、加えて、基本的には乙山春夫の強力な助言・指導によるところ大きく、三郎の独力によっては到底賄い得なかったというべきである。そして、控訴人は、亡三郎が生前本件土地利用につき一郎との間で地上権ないし借地権を設定したと主張するが、前示認定の事実関係からすれば、右主張事実を認めるに足りない。

もっとも、《証拠省略》によれば、一郎の後見人であった丙川五郎は昭和五三年一月一四日控訴人に対し本件土地につき生涯借地権を設定したとの記載のあることが認められ、控訴本人も当審においてこれに沿う供述をしている。しかしながら、《証拠省略》によれば、丙川は、三郎没後の控訴人の立場に深く同情し、控訴人が本件土地を終生利用することができるようにとの特別の配慮から「生涯借地権」という名称の土地利用権を設定したものであることが推認され得るところ、右借地権の対価は、《証拠省略》によれば、三郎夫婦の母花子及び一郎の扶養並びに甲野家財産の維持管理に尽した貢献をその実質とする旨謳っているのである。しかし、三郎夫婦の貢献はすでに認定したとおりの内容であって、いわゆる生涯借地権の対価と相応するものとは認め得ないといわざるを得ないから地上権ないし賃借権を設定したものと解することはできない。

(二)  しかし、三郎夫妻が、長年にわたり、本件建物を生活の本拠として利用し、曲りなりにもせよ母花子、一郎らの生活を支えてきたことはすでにみたとおりであるから、仮に一郎が三郎よりも先に死亡したとすれば、三郎は相続人の一人として、一郎の遺産である本件土地を承継すべきことについては、他の相続人である四郎、同春子らとて異議のないところであろうことは《証拠省略》によりこれを認め得るのである。

以上の事実関係を法律的にみれば、一郎が、四郎や春子ら親族の了解の下に、三郎控訴人夫婦に対して終身の本件土地の使用借権を設定してきたものと解すべきものである。そして、《証拠省略》の趣旨も、丙川がこの関係を確認し控訴人に対して使用借権を認めたものと解することができるのである。そして、四郎及び春子は一郎の包括承継人であるから、一郎の使用貸主としての地位を引き継いだものである。

(三)  ところで、前示のように、被控訴人らは、亡一郎の相続人である四郎及び春子から持分権の贈与を受けたものであるが、後記のように、前二者と後二者の立場は実質的に同一とみるべきものであるが、法律的には前二者は亡一郎又は後二者の包括承継人とみることはできない。従って、所有者の交替によって控訴人の前主である四郎及び春子らとの使用貸借は終了するものというべきことになる。

三  そこで、進んで抗弁2について判断する。

前示認定のとおり、被控訴人らは本件土地をいずれも亡一郎の相続人である甲野四郎、同乙山春子から贈与により各持分を取得したものであるところ、《証拠省略》によれば、右贈与は本訴請求の便宜のためにそれぞれ本来包括承継関係を生ずべき一親等血族関係者において為されたものであることが認められ、又、《証拠省略》によれば、被控訴人らにおいても、控訴人と四郎、春子との間の本件土地・建物をめぐる紛争につきこれを知悉のうえ本件土地の各持分を取得したことが認められるから、被控訴人両名の控訴人に対する立場は四郎、春子の控訴人に対する立場と同一視すべきものであり、前示認定の事実関係の下においては、被控訴人らが使用貸主である前所有者から所有権を取得したことを理由として使用貸借の終了を主張して使用借人である控訴人に対して本件土地の明渡を請求するのは、信義に反し権利の濫用であるといわなければならない。

四  以上の理由により被控訴人らの本訴請求は失当であるから、これを一部認容した原判決は不当であるから民訴法三八六条により右認容部分につきこれを取消すこととし、右取消部分にかかる被控訴人らの請求を棄却し、訴訟費用の負担につき同法九六条、八九条、九三条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 武藤春光 裁判官 菅本宜太郎 山下薫)

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